天笠邸の前に着いた。
相変わらず大きいな、と小さく息を吐く。
記憶しているものと、あまり変わりは無いが
庭にちょっと怪しい置物が増えたようにも思う。

天笠邸への道のりはここからも少し長い。
庭が広いのだ。

車で行けばすぐなのだが、
生憎車では来ていないし(運転も出来ないけれど)、
乗せてくれる人もいない。

少し長いが、歩くしかないみたいだ。

庭を見渡しながら、その道のりを歩く。
前回来たときから一年経ったその景色は
季節が同じだから、そんなに変わらなかった。

歩いて、怪しい置物を見て
歩いて、無駄にでかい岩を見て
歩いて、きれいな紫陽花が咲いていて
歩いて、黒猫が前を過ぎり

歩いて…、たら傘にボトッと弾ける音がした。

瞬間、豪雨。

あまりの激しさに流石に焦り、駆け足で向かった。

だが、その努力も空しく、家の前に着く頃には
服も大分濡れてしまっていた。

はぁ…、と思わず溜息が出てしまったが、
プレゼントの方はどうにか無事のようだ。

気を取り直して、チャイムを押す。

ジーーーー。という独特の音が鳴る。
何度聞いても、この音は少し慣れなかった。

「はい。」
インターホン越しに声が聞こえてきた。

「あ、佐木凌です。…えと、鷹逸郎くんはいますか?」
「あぁ、佐木さんの所のお坊ちゃんですね。お久しぶりです。
…鷹逸郎さまは居るには居るんですけれど…。」

妙な間が空く。
後ろでごにょごにょと誰かと話す声が聞こえてくるが、
なんと言ってるかまでは聞き取れない。

…何か、あったのだろうか?

「…取りあえず、雨の中大変だったでしょう?
そのままではお風邪をひいてしまいます。中へどうぞ。」

その言葉と同時に、メイドの川野さんが扉を開けてくれた。
「そんなに濡れて…寒かったでしょう?どうぞ。」
「あ、ありがとうございます。」

差し出されたタオルを受け取り濡れていた顔や、
髪の毛を拭きながら中へ入っていく。

「鷹逸郎くんはお部屋に居るんですか?」
「あ…えぇ、そうですけど…今はちょっと…。」
「…?何かあったんですか?」
「…鷹逸郎さまは、ちょっと伏せっていて。」
「風邪でもひいてしまったんですか?
それとももっと何か大変な病気で…?」

先程の、インターホン越しの会話の事も思い出し、
重い病気にでもなってしまったのかと、色々悪い想像をしてしまう。

だが、川野さんは首を横に振った。
瞬間、ほっと一安心する。

が、川野さんの表情は晴れない。

「今、旦那さまも遠方のお仕事に出向いていた所で
すぐには帰ってこれないんです。」

「…でも、絹花さんがいらっしゃるのではないですか?」
「………。」
「……?」

川野さんは、口を噤んでしまった。
なんだか声を掛けづらい雰囲気になり、
二人で無言のまま歩いていると、見覚えのある男性が頭を下げてきた。

「凌さん、わざわざ来てくださってありがとうございます。」
「子安さん!!お久しぶりです!!」

子安さんは、天笠家に勤める執事で僕も小さい頃から
お世話になっていた人だった。

「本当…、良い所に来てくれました。
私たちだけではどうしようにも…。」
子安さんの顔が川野さん同様暗くなる。

「本当に、何があったんですか…?」
「……鷹逸郎様は、二階の自室にいらっしゃいます。
行って差し上げてください。」

僕の質問には答えず、そう言うと、
子安さんと川野さんは小さく頭を下げ
奥の部屋へと入っていってしまった。

二階の自室…。

行ってみるしか無いだろう。

もともと、ようちゃんに会いに来たのだから、
行かないなんて選択肢はありえなかった。

階段を上る。
相変わらずの大きな、そして長い階段だ。
一歩、一歩進んでいく途中、二階が近づいてきた頃に
微かに音が聞こえた。

すすり泣くような、小さな声。

ようちゃんが、泣いてる…?

駆け足で部屋の前までたどり着いて、その疑問は確信へと変わった。
それと同時に、僕はノックもせずにそのドアを開けていた。

「ようちゃん!!何があったの…!」

ようちゃんは、部屋の隅っこで小さく小さく縮こまっていた。
そして、肩を震わせながら、小さく静かに泣いていた。

僕の声にようちゃんは一瞬ビクッと反応する。
そして、ゆっくりと顔をあげた。


光の無い瞳が、僕を射抜く。

ようちゃんの太陽のような笑顔は、失われていた。